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カースポット久米

平成30年(長編)

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やぁやぁお久しぶりです。

 

皆様お変わりないでしょうか。旧HP担当♂でございます。

 

気温が一気に下がりましたね。

 

平成最後の年が暮れようとしています。

長かったような、短かったような。

短く感じるのは加齢ゆえの加速装置のせいでしょうか。

 

 

 

キャンペーンの案内はHP担当♀に丸投げし、

私は好きなことを書きたいと思いますw

  

 

 

 

というわけで自分の首を絞める大長編、

経験の浅いセールスから、ロスジェネ世代、その辺のセールスより詳しい方まで楽しく読める

自動車から見る平成30年史始まるよ!

 

 

注)間違ってたら申し訳ありません。読み物としてお読みください。できるだけ優しい目でお願いします。 

 

 

 

 

平成元年。(1989年)日本はまさにバブル経済の頂点を迎えていた。この年の納会では株価は驚きの38000円をつけ、地価はうなぎ登り。東京23区の地価の合計でアメリカ全土が買えるといわれた時代。

 

 空前の株価に支えられ、企業では財テクという言葉がうまれました。

莫大な利益は莫大な設備投資をよび、基礎研究、新技術開発が行われます。

また、元年からはじまった消費税の導入は、物品税の廃止とともに行われ、

自動車業界にとっては、逆に追い風となったのでした。

 

 

ベルリンの壁の崩壊、それに伴う理由なき解放感の中、

その年、スバルは(当時はもちろん富士重工)どうだったのか。

 

 

 

北米に依存した経営状態にもかかわらず、 1985年のプラザ合意以降の急激な円高により、北米市場での深刻な販売不振。平成元年には300億円もの営業赤字。吸収、合併などの報道がされるほどの絶不調。

 

 

深刻な状況のなか、いまだ語り継がれる車がデビューするのです。

スバルを代表する車種といえば○○。筆頭に挙がるモデル。

 

 

 

 

そう、レガシィです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時主力であったレオーネよりも、ひとつ上の車格のイメージで売り出されました。

こけたら本当にシャレにならないので、レオーネを止めてから

売るのではなく併売から始めるところに、状況の厳しさを感じます。

 

 

新開発プラットフォーム、新開発のEJ20エンジン。

正に社運をかけてレガシィはデビューを果たすのでした。

 

 

高級車ブームに乗り、10月に発売されたターボ付きワゴンで

「ハイパワー4WDワゴン」という独自のカテゴリーを創造。

他に類のない車として、成功を確かなものにします。

 

 

 

「わたしをスキーにつれってて」1987年

主演 原田知世、三上博史 

イケメンと美女がであってなんだかんだあって引っ付いたり離れたりするドラマ。

トレンディードラマのひな形です。

 

 

 

スキーブームなどもあり、4WDのニーズの高まりなども後押ししました。

劇中でも立ち往生するカローラIIを主人公がのるセリカGT-FOREが

「所詮四駆の敵じゃないよね」 

 と言い残し、颯爽と走り去っていく姿は多数の四駆信者を生み出したと言われています。

 

 

 

伝承、受け継ぐものという意味を付されたこの車は経営不振に苦しむスバルを

救い、現在の6代目までレガシィブランドとして遺産を残してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイドからリヤに連なる美しいガラス面。ありがとうレガシィ。

君がいなかったらHP担当はHP担当してないよ!

 

 

 

さて、一方国内市場では。

 

 

国内での自動車のトレンドは「シーマ現象」とよばれ、高級車が爆発的ヒット。

シーマ現象は流行語にもなりました。

正にバブルまっただ中です。

 

 

 

 

 

革シートにサンルーフ、パワーシートやパワーウィンドウ、キーレスエントリー。

いまではついていて当たり前と思っている装備の数々も、バブル時代の名残でもあり、

恩恵です。 

 

 

 

 

 

自動車を平成というくくりで見るのならば、

平成元年は正にアニバーサリーイヤー。

いまだに語り継がれる数々の名車がデビューした年になりました。

レガシィと同学年の車と思ってみるとなかなか興味深いです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

初代マツダ ロードスター 平成元年9月発売開始

いわずと知れた日本を代表するライトウェイトスポーツカー。

今見ても古さを感じさせないデザインですね。

ロードスターの成功がなければ、フォロワー達が生まれなかったであろう、偉大な存在です。

 

 

 

 

 

 

初代トヨタ セルシオ

 

アメリカ名、レクサスですね。日本ではシーマ現象中ということもあり、

クラウンを超える車ということで販売されました。

セルシオは初代と二代目が外観の違いがホントわからない。

優れた静粛性、大排気量が発生する大きなパワー。

トヨタの本気を感じる一台です。

大衆車=日本車

という概念を底からひっくり返した車。

北米市場で高い評価を受け、今に続くレクサスブランドの開祖です。

 

 

 

他にも180SXやCRX-SIRなどデビューしているんですが、やはり平成元年といえば、

これでしょう。

 

 

 

 

日産スカイラインGT-R。

通称32です。

今なお続くGTR伝説の中興の祖ですね。

当時の速い車の代名詞であり、圧倒的なラスボス感を出せる車です。

グループAでの29戦29勝という大記録。

最新の電子技術で制御された4WDシステム、

レースで勝つために作られた2.6Lツインターボエンジン。

 

この車以降、国産スポーツの歴史が変わったといわれています。

 

 

 

 

 さて・・

 

 

 

 

 

                           (手塚治虫 ブッダ)

 

 

原因があるから結果がある。

 

 

 

 

 

 

 

ウーム 真理だ。

 

 

 

バブル経済という原因が

 どのような結果をもたらすのか。

 

 

 

 

名車の数々。

 

 

 

それは現在へと続く、

 

 

 

 一つのキーワードの種だったのかもしれません。

 

 

 

 

価値観の多様化

 

 

 

 

 

次回へ続く!かも!

 

 

 

 

平成元年編おまけ

 

時代の節目のせいなのか、平成元年は、

昭和を代表するスターが亡くなった年でもあります。

 

美空ひばり

 

松田優作

 

 

息子たちはテレビで見ない日はないですけどね・・

30年という月日を感じますなぁ。

 

そしてもう一人、

神様と呼ばれた存在が、本当に神様になった年でもあります。

 

 

手塚治虫死去(平成元年)

 

 

HP担当は大の手塚党なのです。

 

 

 

 

漫画の神様の最後の言葉は

 

 

 

「頼むから仕事をさせてくれ」

 

 

 

だったといわれています。

 

 

マネできませんな・・・・。

 

 

 

当時のHP担当は14歳!!

 

 

奇しくも長女と一緒の年齢なのでした。

 

 

30年ってスゴイですね!