いつも津山店HP ご覧いただきありがとうございます!!
前号での、レヴォーグ大変身!はいかがでしたでしょうか!?
オーナー様からは大満足との好評をいただきまして、
今日もドライブを愉しまれていると思われます。
そこで!!! これからの行楽シーズンに欠かせないのが
ドライブ中の SOUND ではないでしょうか!?!?
うん うん と思った
レヴォーグ・S4・WRXオーナーにオススメ!!!
と このような商品をご用意しております。
秋のドライブが楽しみになりますね〜^^v
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巻末特典 幕末トラベラー Vol.19
中浜萬次郎(1827〜1898):土佐中浜村出身
ジョン万次郎として知られるこの青年、9才で父を亡くし家族を養うため漁で働くが14才のとき仲間4人と出た漁で遭難し数日漂流し東京より南へ582?にある無人島【鳥島】に漂着。僅かな雨水と海藻・海鳥の肉で飢えを凌ぎ143日が過ぎたころウミガメ調査に立ち寄った捕鯨船ジョン・ホーランド号に救助されます。しかし日本は鎖国中のため5人はハワイへ降ろされますが万次郎は船長ホイット・フィールドに気に入られ仲間を残しアメリカ(マサチューセッツ州)へ行くことになります。JHON・MUNG(ジョンマン)はこの時つけられた愛称。万次郎はフィールドの養子となり、彼の家で暮らし英語・数学・測量・航海術・造船技帰国後の彼は幕末の日本に深く関わり多大な影響を与えます。が、その紹介はまた。
術の最先端を3年間学び、捕鯨船に乗り19才で副船長となり7大海を航海する 。23才となり帰国を決意しゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへ乗り込み帰国資金$600(現在の価値で約1200万円)を稼ぎ仲間のいるホノルルへ向かい、仲間2人と購入した船を載せ上海へ、そして購入したアドベンチャー号で琉球国へ出航、24才で10年振りに帰国をはたしました。ちなみに万次郎の家系とフィールドの家系は現在も親交がありジョン・ホーランド号のオーナーはフランクリン・ルーズベルトの祖父で、幼少期にフィールドから万次郎の話をよく聞かされ、会いたかったとの意向が記された書面が残っています。
上の写真は土佐清水市海の駅あしずり《万次郎少年と仲間の像》